Lahore(ラホール5日目)
         〜いろんな人の優しさに心温まる日〜

今日でパキスタン滞在も最終日。

密度が濃くて、めちゃくちゃ長くいたような気もするし、
あっという間だったような気もする。
ベタな言葉で表現すると、「長かったような短かったような」というやつだ。
とにかく、すごく楽しかったということは確かだ。


今日は、ラホールで見ておくべきもので5本の指に入るであろう、ラホール旧市街へ。

8/26にラホール・フォートを訪れたけれども、
その向こう側には、城壁で取り囲まれた旧市街が雑然と広がっている。
16世紀のムガル帝国時代に築かれたその街は、中世の趣きを多分に含んでいて、
道が入り組んでいたり、迷路のようになっていたりして、
ペシャーワルの旧市街を髣髴とさせる。

旧市街内には、ハヴェーリーと呼ばれる邸宅が多くある。
テラスやバルコニーのあるお屋敷を見ていると、ムガル王朝期の古きよき時代を思い起こさせる。
↓通りの左側にあるおうち。
 2階部分が出っ張ってバルコニーになってますね。

ごちゃっとしてます

ラホールは、日本で言うところの「京都」や「大阪」のような存在なのかなぁと思う。
古い街並みが残っているところは、京都だし、
ラホールそのものの我の強さみたいなものは、大阪のイメージに重なる。

ここでも相変わらず、ペシャーワルに負けず劣らずの視線攻撃。
いくらパキスタン滞在中に慣れたとはいえ、やっぱりちょっと怖い…。

というか、このオールド・ラホールは何だかちょっと異様な雰囲気が漂っている気がする。
明らかに目つきが虚ろで、どちらへ行ってしまわれたの…?と言いたくなるような。
お薬か何かをおやりになっているのかもしれまい。

旧市街での目的は、バザール。
いろんな職人さんが住んでいる旧市街には、実に多くのお店が立ち並んでおり、
ぶらぶら歩いて見ているだけでも楽しい。

私は楽器が欲しかったので、楽器のバザールを見てみることに。
シタールやタブラ、笛、鈴みたいなのがついた謎の楽器もある。

職人さんたちは、器用な手つきで皮を貼り付けたり紐を巻きつけたり。
小学生くらいの男の子もお店でお手伝い。

このコは将来オトコマエになりそうだ メガネがずり落ちそうだよ

他にもいっぱい欲しかったな
で、私が購入した楽器はコチラ。


左:タブラ(ミニサイズ)
右:笛

笛は、リコーダーの音をもっと乾燥させたような感じの音色。
つぼからへびがニョロリと出てきそうな感じ。

何の変哲もない、ただの笛といえばそれまでだけど、
店先で見たときは、確実に魔法がかかっていた。
今でも、そう思っている。



手のひらサイズ
タブラはミニチュアサイズだけど、叩けばちゃんと音がします。
小さいながらも、胴には木彫りの細工もしてある。

タブラという名前は、一般的には大小2つの太鼓を指しているが、
正確には、「タブラ」はサイズの大きい高音の太鼓のことで、
低音でミニサイズの太鼓は、「バヤ」という名前。

ちなみに、この写真はタブラ。ボディは木製です。
一方のバヤのボディは金属製。


シタールも欲しかったけど、持って帰るにはさすがに重いので断念。
次に来た時は、本物のタブラとシタールを買って帰りたいな。


続いては、またもアナールカリーへ。
いやー、懲りないね。今回の旅行で、何と3回目。

でも、私は先の旧市街で目的の楽器を手にでき、ホクホク気分だったので、
特に何も買わず、ぶらりと歩くだけにとどめておく。

しかし、後輩たちは、まだ買い足りないようで、チューリヤーンをどっさりお買い上げ。
「ココからココまで全部くださいっ!」と、
昨日に続き、出ましたジャクソン買い。

ほの暗く狭い通りの両脇に並ぶ、きらびやかな服や装飾品。
ミステリアスだけどわくわくする、あのアナールカリーの雰囲気は、筆舌に尽くしがたい。
だからこそ、ここに女性が群がり、私たちも同じように何度も足を運んでしまうのだろう。

映画の宣伝パネル


さて、お買い物は一旦休憩。
お昼の時間です。

そろそろパキスタン料理も食傷気味ということで、本日は中華料理。
ラホール初日に日本料理を食べたアバリホテル内の
「DYNASTY(王朝)」というチャイニーズレストランにて。

イスラーム国家パキスタンなので、もちろん豚はご法度。
なので、若干脂っこさは控えめな感じ。
ま、それでも日本で食べる中華料理のうまさには遠く及ばない。

皆旅行疲れで、すっかり体力を奪われてしまっていたため、
あまりガツガツと食べる感じではなかったが、
私は、たとえ疲れていようとも、腹の調子が悪くとも、食べる・食べる。
ありゃ?パキスタンで体調を壊して激痩せして帰国する予定だったんだがなぁ??

そんなつまらんことを考えながら、久々の中華料理に舌鼓を打っていると、
何だか目の前がやけに眩しくなって、嫌な予感が走る。




やばい。来た。






あ、お腹じゃないですよ。



そう、私の天敵・偏頭痛。
いついかなるときも、TPOなどお構いなしでやってくる。


いやいや、きっとホテルの照明が明るすぎるのよね。
気のせいよね。
大丈夫さ。

と、言い聞かせてホテルを後にする。

豪華絢爛バス


そして、いつものサンゲミールへ。
サンゲミールにはすっかりお世話になりっぱなし。
パキスタンも今日で最後だし、ちゃんと挨拶しなくちゃね。

本屋なのに、私たちが行くといつもごはんが用意されている。
本日もそのご多分に漏れず、おいしそうな料理を振舞ってくれた。
昨日も面会した、アッラーマ・イクバールのお孫様と共にいただく。

今日のメニューは、オクラのカレーと、ヤギの脳みそカレー(!!)。
オクラは苦手なので、口にできなかったけど、
ヤギの脳みその方は、クリーミーで何とも濃厚な味わい…。
いや、おいしかったんだけどね。

食後には、やっぱりマンゴー。
冷たく冷えたマンゴーはおいしいね…


と言いたいところではあるが、
この時ばかりは、素直にそう言える状態になかった。

ずっと平然とした顔でカレーやマンゴーを食べてはいたが、
明らかにさっきよりはっきりと、偏頭痛の兆候が表れてきていた。

いかんいかん。
最後なんだから、ちゃんと挨拶して元気に帰りたいのに。


ごはんをたくさんいただいた恩返し、というわけではないけれども、
ここは一応本屋さんなんだから、本を買わなくっちゃね!

ということで、以下の3冊を購入。

日本では手に入りません!

写真左:
T先生がパキスタンで出版された詩集。
大学で教えてもらっているときはあまり感じないけれど、
パキスタンではそれなりに名の知れた作家さんだということを感じさせてくれる1冊。
帰りのバスを待つ、きゃあきゃあかしましいうちの大学の女子たちを見て詠んだ詩もありました。

写真中央:
何かネタで面白そうな本はないかしらー?と思って見つけたのがコレ。
「Flash 5.0」とタイトルに書いてあります。
そう、Macromedia Flashのマニュアル本なのですね。

中を見てみると、実にわかりづらい。
文章自体はウルドゥー語なので、右から左に文字が進んでいるのに、
左から右書きのアルファベットや数字が、頻繁に注釈で入ってきて頭がこんがらがってくる。
それなのに、イラストに書き込まれてるPC用語はウルドゥー語(アラビア文字)。
余計わかりにくいし!

写真右:
ちょっと間の抜けた、ムッラー・ナスルッディーンのお話。
パキスタンで読まれている童話といえばイイのかしら。
大学の授業でこのムッラーさんのお話をやったので、
あっ知ってる!と思って買っちゃいました。


イイお買い物でした。

しかし、書いてると、さっきの頭痛なんてどうってことなさそうな感じがしてくるけど、
実際、頭痛は少しずつ激しくひどくなっていって、
本をぷらぷらと選び歩いている間にも、実際、結構頭は朦朧としていた。

帰る前、皆がサンゲミールの皆さんへ挨拶をしている頃には、
もはや、立っているのはおろか、真っ直ぐ座っていることすらも厳しいくらいの状況で、
許されるのであれば、すぐにでも床に突っ伏してしまいたいような気分だった。

挨拶なんてイイから、早くバスに戻りたい。
そうして、ちょっと背もたれに寄りかかって目でもつぶっていれば、幾分マシだろう。
今思えば、非常におろかで最低なことだったけど、
そういう考えが、頭に取り付いてグルグルと離れなかった。

私は、サンゲミールの皆様への挨拶もそこそこに、店を後にしてしまった。
あれだけお世話になったにも関わらず…。

ココナッツ屋さん 果物屋さん


店を出た後、バスで普通に次に向かうのかと思いきや、
何と、リクシャーに乗るらしい。

インドといえば、やっぱりリクシャーに乗ってみないと!
ということで、皆2〜3人組ずつに分かれて、
それぞれリクシャーを拾って、アバリホテルまで行ってみましょう、ということに。

おぉー!楽しそう!
…と手放しで喜べる状態に私はなかった。。

頭痛はさっきにも増して悪化の一途をたどっていた。
こうなると、もう何をしていても気持ち悪くて苦しくて、どうしようもない。


喜び勇んでバスを降りていく皆を横目に、
私は泣く泣くバスで向かうことに。
とりあえず、常備の頭痛薬を飲み、痛みが去るのを待つ。

1人ぼっちのバス車内からの風景 

誰もいなくなった車内。
1人で、この1週間とちょっとのパキスタン滞在を思い出していた。

ホリデイ・イン・ラホールのスタッフの皆さん。
現地で案内してくれた、大学の先輩Ntさん、Nzさん。
イスラマで、自宅を宿泊先として提供してくださった、在パ日本大使館員のNgさん、Iさん。
パキスタンでの我らの母、キシュワル・ナーヒードさん。
そして、サンゲミール書店のニヤーズさん、アフザールさん。

その他にも、いーーっぱいいろんな方々とお会いして、
いずれも大変よくしていただき、貴重な体験をさせていただいた。
私がこの大学に入り、ウルドゥー語という言語を選択しなければ、
出会うことすらなかったかもしれない人たちばかり。

それなのに、それなのに、
たかだか偏頭痛程度のせいで、私は相当お世話になった
サンゲミールでの最後を、最悪の尻切れとんぼにしてしまった…。

そう思うと、悲しくて情けなくて悔しくて、
頭痛の気持ち悪さも相まって、涙をこらえきれなかった。


そんな私の様子を知ってか知らずか、
バスは少しゆっくりと、揺れないように走ってくれていたようだった。
そして、運転手のおっちゃんは、「皆の様子を見てくるから、ここで待っていなさい」
と、優しく声をかけてくれた。

いつの間にかバスはすでにアバリホテルに到着していて、
人目につかないよう、駐車場の奥の方にバスを留めてくれていた。
そして、頭痛もいくらか楽になっていた。

時計を見ると、皆がバスを降りてから数十分が経っている。
もうリクシャーがアバリホテル付近についてもおかしくない時間。
皆に気付かれないよう、慌てて涙を振り払う。


程なくして、皆が意気揚々とバスに戻ってきた。
車内は一気に活気づく。

「リクシャーのおっちゃんにナンボ払った?」
「うちら30ルピー」
「うっそー!こっち60ルピーも払ってんけど!」

リクシャーは、しばしばボラれますので、要注意。
皆がいると、やっぱり楽しいな。


そのままバスは、ショッピングモール「ペイス」へ(8/26参照)。
これでパキスタンのお買い物も最後。
買い忘れたものがないか、念入りに思い出していく。

お財布と相談してみると、どうやら残りはあとわずからしい。
ルピー硬貨や紙幣をどっさり残して持って帰っても、どうしようもないので、
ココはもう使い切る勢いでガツガツ買いに走るぜ。
アクセサリーやらお菓子やら、とりあえず持って帰れそうなものを買いあさる。

そして、最後に買った品物がコレ。


パーティーにぴったり★
 ゴージャスなブルーのシャルカミ!
 最後を飾るに相応しいじゃありませんか。

 すべすべした布地にスパンコールが散りばめられてます。
 ドゥーパッタもチュールっぽい透け素材でエレガント。
 なかなかセレブな一品ですよ。

 これは、3000ルピー近くしたから、1日目2日目と比べて結構お高め。
 それでも、日本円だと6000円くらいだから、
 日本で同等の服を買うよりは断然お買い得かも。
 
 このシャルカミは、日本に帰ってからも、
 知人の結婚式二次会で着たりして、活躍しております♪

 ゴージャススパンコール


このシャルカミを買って、お財布の中を確認すると、
残りは、何と35ルピー。超ギリギリ!
大変よくお買い物しました◎


もうこれで買い残したものは何もないだろう、というくらいに十分お買い物を堪能し、
荷物を預かってくださっていたT先生宅に向かう。

皆それぞれに手持ちの荷物をスーツケースにしまい、
パキスタンを発つ準備に入る。

今日アナールカリーでジャクソン買いを敢行した後輩たちは、
あの買い物の呪縛から解き放たれたらしく、
買いすぎたということにようやく気付き始めた(笑)。
「スーツケースが閉まらん〜〜(汗)」

私は、幸か不幸か、難なくスーツケースに全て詰め込むことができた。
あれだけじゃんじゃん買い倒して、やりすぎたとさえ思ったのに、
整理してみると意外に買ってないことがわかり、若干がっかり。
日本に帰った後に友達やバイト先に渡すお土産、足りるのかしら。
私、どこに出かけても、買ったお土産の半分以上は自分のものにするからね。


夕ごはんは、T先生夫妻が中華料理をデリバリーしてくださった。
T先生のご家族には、もうホント、お世話になりっぱなしで、
ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。
一緒に記念写真も撮って、素敵な思い出になりましたよ。


バスで、空港へ向かう。
もう、これでパキスタンともお別れです。

最後の最後までバスを運転してくれ、私たちのお世話をしてくれた、運転手のおっちゃん。
ちょっぴりコワもてだけど、私たちのことを思ってくれる優しいおっちゃん。
長くて短い間だったけど、本当にありがとうございました。


空港内は、行きと同じくごたごたにごった返していて、
手続きも相変わらず相当な時間がかかっている。

あぁ、またか、やっぱりな、と思いながらも、不思議と苛立ちは感じなかった。

だって、この手続きが終わって、ゲートを通り抜ければ、
もう、あのパキスタンの喧騒には戻れないのだから…。


早いもので、パキスタン訪問から5年という歳月が経ちました。

私の良くない性格で、この旅行記の最後のページにたどり着くまでに
想像以上に多くの月日がかかってしまいました。
続きを楽しみにしてくださっていた方がいるのかいないのか、
わかりませんが、完成が遅くなり申し訳ありませんでした。

幸いにも、旅行中に毎晩日記を書いていたため、
最後まで仕上げるのにそれほどの苦労は要しませんでしたが、
終盤の方は、少し記憶が曖昧なところもあるかもしれません。

もし、何かお気付きの点がございましたら、
お気軽にこちらをクリックしていただき、お知らせいただければと思います。


大学を休学し、様々な転機をむかえていた、2003年の夏。
このパキスタン訪問の体験は、何の迷いもなく私の人生を激しく揺さぶり、
それまで味わったことがないくらいに、強烈で鮮やかな印象を残しました。

きっと、などと言うまでもなく、それは私の記憶の中に住み続けるに違いありません。
否が応でも、それほどまでに、この経験は何物にも変え難いものであるのです。


旅行記を書くに際して、滞在中の写真をご提供いただきましたY先生、そして諸後輩の皆様。
5年前のことではありますが、ありがとうございました。


これを読んでくださる皆様の胸に、何か1つでも、引っかかるものがありますように。
ありがとうございました。

(2008年9月21日 完)



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