Lahore(ラホール2日目)
         〜
歴史的建造物に開いた口が塞がらない日

今日は朝8時に起床の予定を立てていたのに、
気づけばなんと9時だった(ぎゃ〜!!)。

実は、
明日から約1週間ほどラホールを離れることになっているのだ。
次の行き先はペシャーワルとイスラマバード。
しかし、日本から持ってきたでかでかしいスーツケースはさすがに持ち歩くことができない。
なので、またラホールに戻ってくるし、ということで、
スーツケースたちはラホールでお留守番です。

だから、これからの何日間かのペシャーワル、イスラマバードに備えて、
持っていくもの・持っていかないものとを分けるために
今日の朝早く起きて準備しようって言ってたのに!!ひぃ〜(>_<)

この朝寝坊が、この後最悪の事態を引き起こすことにッ!!(←テレビ番組のCM前みたい)


ま、でもここはパーキスターン。
荷造りの時間がカットされただけだ。あせる事はない。
というわけで、今朝も部屋のドアの下に入っていたクーポン券で
優雅にビュッフェでの朝食を楽しんだのでした。

ここのビュッフェは紅茶も注ぎに来てくれるし、ほかほかオムレツも焼いてくれる。
おまけに、従業員のおネエさんもとてもお美しい方でした。
女優でいえば、ケイト・ウィンスレットのような。
Pakistaniなんでしょうが、ちょっと欧風のお顔立ち。
そのおネエさんが、やたらと私たちのことを「カワイイカワイイ☆」と
褒めちぎってくれた。いやいや、おネエさんの方がおキレイですわ。

そうそう、今日からは全員シャルワール・カミーズスタイルです。
私もだいぶシャルカミが板についてきたかな?!(昨日着始めたとこやんっ)


雑然 エアーチェア屋さん?? おっちゃんの髪が赤い☆

今日の予定は、ラホール歴史観光。

ラホールは日本でいうと、京都のような歴史の古い街。
ムガル王朝時代の有名な建物がたくさん残っていて、見所たっぷり。
アクバル大帝時代には、ラホールがムガル朝の都として繁栄を極めておりました。

そもそも、私が今ウルドゥー語を勉強しているのも、
高校の世界史でムガル王朝時代に興味を持ったからである。
と、大学の後期試験での面接で答えた記憶が(←大暴露)。

いやいや、ムガル王朝が好きだったのもあながち間違いではない。
実際勉強していて面白かったし、もっと詳しく知りたいとも思った。
しかし、それは教科書の中での出来事としてしか見ていなかった。
まさかこうやって実際に、ムガル朝時代の建物を訪問する機会が訪れようとは、
おぼこい高校生だった私は夢にも思っていなかったのだ。

はい、ここからは
コレを参照してくださいね。


一発目はジャハーンギール廟。

ジャハーンギールとは、ムガル王朝の第4代皇帝。彼のお墓であります。
そのジャハーンギールの遺言で、ここに廟が作られたのだとか。
この皇帝の治世の後半は、奥さんのヌール・ジャハーンが実権を握ってたらしい。
皇帝は奥さんの尻にしかれてたのか?

また、彼の治世時代は、内政がもっとも安定していて、
文化的な面においても、大変繁栄していました。
彼自身も文学的才能を持ち合わせていたからか、宮廷でもムガル文化が栄え、
特に、細密画(ミニアチュール)は、この頃がもっとも盛んでした。

ジャハーンギール廟の建築方式はムガル様式。
イスラム建築をインド風味で味付けしたもの。
赤レンガに白の大理石を使用した建物で、尖塔(ミナール)と大きなドーム屋根、
そして壁のいたるところに施された象嵌細工が特徴です。

かの有名な「タージ・マハル」も赤レンガはないけどムガル様式ですよ。
タージ・マハルは、ムガル王朝の都だったインドのアグラにあり、
ジャハーンギールの息子シャー・ジャハーン帝の奥さん、ムムターズ・マハルのお墓です。

チャハールバーグのお庭

 門をくぐると、四角くて広い庭が見えてきた。

 木々の緑と赤レンガのコントラストに、4分割のシンメトリーがとても美しいお庭。
 この四分された庭は、ペルシア様式で「チャハール・バーグ(4つの庭)」という。
 塀で囲まれた庭の中央にレンガ敷きの四角いスペースがあり、
 そこから水路のような道が「田」の形で庭を四分割している。

 灼熱の砂漠地帯で発展したイスラム教にとっては、
 塀に囲まれ、水の流れる水路がある庭こそが、地上の楽園であったのです。

 インドやパキスタンのイスラム建築には、このチャハールバーグが欠かせません。



門

チャハールバーグの庭に感激しながら奥へと進んでいくと、
これまた赤レンガの門が見えてきて、その奥に廟があった。

きれいな細工が施された建物の中に入ると、白い大理石の棺がおいてあった。
この部屋、何だか暗いなぁ。と思ったら、なんと停電していたのであった(笑)。
おいおい、せっかくの見学なのに、電球ぐらい…。まぁしゃーないか。

ここにジャハーンギール帝が…

大理石の立派な棺には、アラビア語がたくさん刻み込まれている。
イスラム教徒の人名は、神のもつ99の別名が使われることが多いのだけど、
この棺に書いてあるのは、まさにその99の神託。

棺の部屋一面も、白い大理石でできていて、細かい草花の装飾が施されている。

にっくき停電 フレスコ画というらしい(茶碗の柄みたい)

停電という事態に見舞われなければ、もっときれいに見ることができたんだろうなぁ…。


2つ目、バードシャーヒー・マスジッド。
bad-shahiは「皇帝の」、masjidは「モスク」という意味ですなー。
これは、絶対に見たい建造物の一つだった。

ここの前で靴を預ける
 バードシャーヒー・マスジッドは、6代目のアウラングゼーブが建てたモスク。

 アウラングゼーブは、なかなかの残酷な性格の持ち主であるらしく、
 王位継承争いの際に、5代目皇帝で自分の父親でもある、
 シャー・ジャハーンをアグラ城に幽閉してしまう。ひどい息子だ〜。

 そして、シャー・ジャハーンは、アグラ城の鉄格子から、
 亡き奥さんムムターズ・マハルの眠るタージ・マハルを見つめながら、
 アグラ城で、独り寂しく死んでいったのであった。
 タージ・マハルに面するジャムナ河対岸に、
 漆黒の大理石で自らのモスクを建設する、という夢も叶わずに…。

 ムガル帝国最盛期の皇帝と言えども、寂しく悲しい結末だったのだ。


バードシャーヒー・マスジッドは、着工からわずか2年半。
中央の広場は一辺が160mで、なんと、一度に10万人が礼拝できるという!!
イスラマに
シャー・ファイサル・マスジッドができるまでは、世界一のモスクでした。

異国の地で黄昏の後姿を公開
 入る際には注意事項が2つ。
 まず、ゲート前で履物を脱ぐこと。モスクの中は土足厳禁。
 それから、女性は肌を隠すこと。

 ここで、ようやくシャルワールカミーズに欠かせない、ドゥーパッタの登場だ。
 顔が隠れるように、ドゥーパッタを頭からすっぽりと纏う。
 首元で前から後ろに垂らしているだけだったドゥーパッタ。
 ただでさえシャルカミが長袖に長ズボンという暑すぎる服装なのに、
 ドゥーパッタがあると何せ暑いし、とにかく邪魔だったのです。


が、パキスタンにいれば、これは必要なものであるのだとわかる。
イスラム教関係の建物に入るときには、
さっき挙げた2つのことを守らないといけないのだ。

ゲートをくぐると、目の前には赤レンガのだだっ広い広場が現れ、
これまで授業などで勉強してきた、バードシャーヒー・マスジッドが華々しく聳え立っていた。

これこそモスク

うわぁー、出た〜。ホンマもんや〜。バシバシ写真を撮りまくる。
全てが、うまい具合に整っていて、文句のつけようもないほど美しい。
くすんだ赤レンガにつるんとした白の大理石が、悔しいくらいにマッチしている。
17世紀後半に、こんなすごいもんが建てられるなんて、
アウラングゼーブは何て力の持ち主なんだ!! と驚かずにはいられない。

一辺160mという大広場の中央や端の方に、みすぼらしく濡れた布が敷いてあった。
当然のことながら、日に焼けた石畳の上を裸足で歩けるわけがない。
というわけで、日光で生ぬるくなった濡れじゅうたんの上を歩いて、モスクの前まで行く。

小さそうで意外とデカイ

 近づいてもすごい。
 私の予想以上にでかい。
 真ん中のドーム型の入り口のてっぺんが、とんでもなく高い。
 中に入って上を見上げると、ひぇ〜と恐れ入るくらいに大きい。

 そして、カンカンに日に焼けた広場の熱さ(暑さ)も、
 ひんやりとした大理石に囲まれたこの場所に来れば、忘れてしまう。



ドーム型天井 キレイな模様がびっしり

入ったその場所は礼拝堂で、部屋は7つに分かれていた。
見上げた天井や壁には、一面にアラベスク模様の細工がほどこされていた。
見れば見るほどに美しく、言葉を失うほどであった。

みんな普段は何してるんやろう
 そして、地べたを見て、驚いた。何と、みんな寝そべっているのだ。
 おいおい、ここは礼拝堂とちゃうんか〜?!

 まぁでもこの暑い季節にこのヒヤッとした床は、つい寝転がりたくなるかな。

 また、このドーム型の部屋は、面白い音響効果がある。
 部屋自体かなり広いので、対角線上に面と向かい合って話すと聞こえにくいのに、
 壁側に向かって話すと、反対側にいる人に声が聞こえるのだ。

 天井がドーム状に丸くなっているので、
 壁に反響した音は、丸天井を伝って反対側に届くという仕組み。

 ホントに、びっくりするくらいクリアに声が聞こえて、
 まるで隣にいるかと思うくらい、近くにいるように聞こえてきた。



パキスタンの象徴


 広場の四隅には、ミナレット(尖塔)が建っていて、
 そこのバルコニーからは、ミナーレ・パキスタン(パキスタンの塔)が見えた。

 これは、1947年のインドとの分離独立を記念して建てられたもの。
 現代パキスタンを象徴するものと言えますな。



3つ目、ラホール・フォート。

さっきのバードシャーヒー・マスジッドは、この城のメインゲート、
アラムギリ・ゲートを出てすぐ真向かいにあります。

フォートとマスジッドの間の広場にいたの

fortとは、城のこと。すなわち、ラホール城です。
これは、1566年にアクバル大帝がラホールに遷都するときに建てた城ですが、
その後の歴代皇帝によって、どんどん豪華になっていきます。
今では、世界遺産に登録されています。

バードシャーヒー・マスジッドのゲートから出て、前の広場を抜けていくと、
真っ赤なモスクとは対照的に、白い立派なアラムギリ・ゲートがお目見え。
アラムギリ・ゲートはアウラングゼーブが建てたものです。

門構えだけでもお城みたいですなぁ

ゲートをくぐると、チャハールバーグの中庭が広がり、その奥に建物が見える。
まず最初に見えたのは、シャー・ジャハーンの謁見所(Diwan-e-Am)。

謁見所 ちょっとギリシャっぽい?!

その名のとおり、シャー・ジャハーンが建設したもの。
赤褐色の柱を抜けていったその奥に、謁見台があった。
高台から下の中庭を覗き込むのは、王になったようで気分がいい♪

みんなこぞってココに群がってたよ〜

その謁見台から、中庭とは反対方向を見ると、今度はまた別の庭が出現した。

踊り子はべらせてみたい

これはジャハーンギールの庭園。
アクバルの次の皇帝ジャハーンギールは庭を拡張しました。
これはわかりやすいチャハール・バーグですなー。
中央の四角い池の真ん中に、踊り場みたいなのがある。
かつての皇帝たちは、この謁見台から庭で踊り子たちの見世物を見て楽しんでたのかな。

ボロボロ

 謁見の間の天井を見て、驚いた。
 多分かつては美しい細工で飾られていたのだろう。
 
 しかし、今は見るも無残な姿でしか見ることができない。
 シク教徒によって荒らされたのだという。



次から次へと、赤レンガの古びた建物が現れる。
何だかまるで、「天空の城ラピュタ」に出てくる伝説の城ラピュタの庭のようだ。
↓こんな感じ?!

父さーんがー残したー♪

奥の方に、シャー・ジャハーンのシーシュ・マハルが見えてきた。

鏡ばっかりってかなりキモイと思うけど

白い建物の中を見ると、壁一面が鏡のアラベスク模様で敷き詰められている。
なんちゅー部屋だ! キンキラキンやがな! さっすが金持ちやな!
といっても、これは単なる金持ちの道楽とか自己満足のためだけのものではなく、
夏の暑い夜のために、ちゃんと工夫してあるのだ。
たった1本のろうそくでも、この鏡の間なら灯が壁に反射して、部屋が明るくなるというわけ。

千夜一夜物語?


 その向かいの庭をはさんで、ナウラカーという小宮があり、
 そこのバルコニーからは、さっき訪れたバードシャーヒー・マスジッドが見える。

 こう眺めていると、本当におとぎの国に来たような錯覚にとらわれてしまう。



象の道を通って、シャー・バージ・ゲートに向かう。
象の道は、名前のとおり、象が通れるくらいの幅広の道になっている。

象さんがこの道を押し寄せてきたら…

シャー・バージ・ゲートは、外壁がこれまたとてもキレイ。
よく見ると、象の絵が描いてあったりする。

ボロっちく見えるけど実は立派 象さんもいるのでよく見てみてね

ものすごーくキレイなんだけど、それを写真でちゃんと見せられないのが残念。


興奮も冷め遣らぬまま、お昼ごはんへと向かう。
向かった先は…もちろん、サンゲミール書店。
毎度あんな大勢が押しかけて行っても、ちゃんとおいしい料理を出してくれる。

いつもオイシイ料理をありがとう!

いやぁ、恐縮しつつもとても嬉しいことです。ありがとう。

そうそう、そういえばパキスタンで気づいたことがある。
こっちへ来てから、「シュクリヤー(Thank You)」を言う機会がとても多い。
とにかく、みんな本当に親切なのだ。

雑貨屋のおニイちゃん マンゴージュース屋さん。ニイちゃんのとびきりスマイル☆

パキスタンの人はやたら私たちにフレンドリー。
めっちゃニコニコしながら、触ってきたり話しかけてきたり握手を求めたり。
それも別に怪しい人とかじゃなく、いたって普通のおばちゃんや若い人。
女の人はあんまり写真を撮らせてくれなかったけど。
やっぱりジャパーニーは珍しいのでしょうか。
いつでも、どこに行っても、いろんな意味で注目の的。
まるで芸能人になったかのような気分になってしまう。


その後、ペイスという大きなショッピングモールに行く。

ダンキンドーナツって日本にないよねぇ

雰囲気は、一昔前の日本のデパート、といった感じ。
入り口を入ると、たいそうなエスカレータが4階まで突き抜けていた。

ペイスの中では、パキスタン初の自由行動!
買い物ということも相まって、何だか燃えてしまう。

まず4階に行ってみると、雑貨屋さんや工芸品店、CDショップ、おもちゃ屋などが並んでいた。
アクセサリーの店で、友達ときゃあきゃあ言いながらピアスを吟味する。

もっと買えばよかった〜 4月にピアスをあけて、ようやく穴の状態も落ち着いてきたし、
 ピアスをあけて本当に良かった、と、このときばかりは思った。
 一緒に買い物をしていた友達は、ピアスをあけてなかったのに、
 「日本に帰ったらあける!」と宣言して、山ほど買って帰ったのだった。
 (宣言どおり、日本に帰ってすぐにピアスをあけに行ったらしい)

 どれもジャラジャラとかわいいデサインのものばかりで、
 お金を気にしなければ、全部買い占めたいくらいにどれもステキ☆

 お金を気にするといっても、日本で2000〜3000円、
 いくら安くても、1000円は下らないであろう、
 キレイなビーズやガラスや石の付いた豪勢なピアスも、
 100〜200Rs(200〜400円)程度で買えてしまうのだ!

続いて、2階に降りて、シャルワールカミーズのお店を見てまわる。
昨日買ったのは、黒地のシルクっぽいさらっとした生地に、赤い糸やビーズで刺繍が入ったもの。



 そして、今日買ったのもまた黒地。
 黒地の半袖のカミーズに金糸の刺繍がほどこされ、
 シャルワールとドゥーパッタは綿の生地にかわいい花柄模様がプリントされたもの
 (写真がなくてすんません。妹にプレゼントしてしまったので、今手元にございません…)
 他の色を見ていても、ついつい黒に目が移ってしまうようで…
 しかし、お値段はもっと安くて600ルピー! なんと1200円ですか〜。

 ステキなシャルワールカミーズのお店がたくさんあって、
 一着一着全部を見ていたい気分になった。


1階はスーパーマーケットになっていて、食料品を販売している。
並んでいる食べ物こそ、日本にはないような商品がたくさんあったが、
おおむね日本のと同じような感じだった。

飲み物のコーナーには、マンゴーやオレンジなどのフルーツジュースがたくさんあった。
香辛料のコーナーには、見たことのないようなスパイスが山ほど並んでいた。
お米のコーナーには、なぜか販売員のお姉さんらしき人がいて、
買ってくれという感じで近づいてきた。こんなデカイもん買えませんわ〜。

買って帰ろうと思ったのは、紅茶の葉っぱとお菓子。
紅茶は一番安いものを3袋。1つは実家のお土産に。
お菓子は、これまた陳列棚にどっさり並べてあった。
ピスタチオのクッキーや甘いシロップの塗ってあるようなクッキーなど、
5〜6箱買って帰って、バイト先や親戚のお土産にすることにした。

レジでは、頭にドゥーパッタをかぶった女の人が精算をしてくれ、
その横でレジを通った商品を、男の人が袋に入れてくれる。
お、そういえば、イスラム社会のパキスタンでも
こうやって女性が社会進出してきてるんだな。
空港でも女の人が働いていたし、ホテルでも女の従業員がいた。
やっぱり近代化してるんだな。


さてさて、たっぷりと買い物して大満足。
みんなホクホク顔で、いそいそとバスに乗り込み、
ホテルに帰って、ラホール出発のための最終準備をすることに。
準備はもうすでに朝のうちに済ませておいたから、大丈夫大丈夫。

重くて大きなスーツケースを持って、再びバスに乗り込む。
向かった先は、T先生のお宅。T先生とは、大学のパキスタン人講師。
ラホールに置いていくというスーツケースたちは、
T先生宅で預かっていただくことになっているのだ。
え、でも先生ん家にそんなにいっぱいスーツケース置けるんかなぁ…。

着いてみて、驚いた。いや、着く前から、その予想はついてしまった。
超豪邸なのである。いやはや、恐れ入りました。
着く前からの予感というのは、周辺のお家もかなりデカイ家ばかりで、到着する前から、
もしやこの辺は超高級住宅街なのでは、と思わずにはいられない状況だったのだ。

色とりどりのお花が咲き誇る庭を横目に、玄関に入ると、
きりっとした鉢植えの笹と、なんとも立派な鶴の日本画が飾られていた。
うわ、和風造りのお家なのかぁ。やっぱり長年日本にいるからかな。

今日はT先生はいらっしゃらなかったので、
先生のご家族が出迎えてくださった。
お菓子までいただいてしまって。ありがとうございます。

甘いか油っこいか、どっちか

娘さんのご家族や息子さん、先生の奥様のご家族など、
ご親族みんなで一緒に暮らしているのだという。
す、すみません、大勢で押しかけてスーツケースまで置かせてもらったりして(^_^;

娘さん夫婦のお子さん、つまり、T先生のお孫さんは、
今がちょうどかわいい盛り。こりゃ先生もメロメロになるわ。
私たちも日本から持ってきたおもちゃで遊んであげたりした。
男の子だからか、やっぱり車とか飛行機とか、動くものが好きみたい。


さて、T先生宅にスーツケースを置いた後、夕食でマクドナルドへ行った。
着いてみて、笑った。まぁ、パキスタンだから当然と言えば当然なのだが、
表のネオンサインに、ウルドゥーでマクドナルドと書いてあるのだ。

英語表記の後に…

中に入ると、これまた当然なのだが、レジの後ろのメニューにもウルドゥーの表記が!
面白い!当たり前のことなんだけど、
タイで見たマクドナルドとはまた違っていて、
世界標準のマクドナルドだと比較ができて興味深い。

レジには、シャルワールカミーズではなくて、
マクドナルドの制服を着たお姉さんが立っていた。
おぉ、こんなところでも女性が活躍中なのね。
保守的考えのムスリムの人が見たら、びっくりしてしまうだろうな。

トレイに敷く紙のメニュー表をもらった。

さすが世界標準

タイと同じく、パキスタンのマクドナルドにも、やっぱりマックチキンバーガーがあった。
もしや、日本にないだけなのかな?
それから、パキスタンっぽいなぁと思ったのが、次の商品。
写真からおそらくこんな感じの食べ物だろうというのを分析。

★チャトゥパタ・チキンロール…チキンと野菜をチャパティーっぽい生地でくるんだもの
★チキン・アンド・チャトゥニー・バーガー…
  おそらくヨーグルトや野菜のソースをチキンのミンチフライ肉にかけてはさんだバーガー(と思う)
★スパイシー・チキン・バーガー…スパイシーなチキンのミンチフライ肉を挟んだバーガー
★アールー・フィンガー…
  アールーはジャガイモ。たぶん、マッシュポテトスティックみたいなやつ。黄色いから、カレー味かな?

あー、うまそー。メニュー見てたら食べたくなってきた。
普通のハンバーガーやチーズバーガー、ビッグマックなど、
日本でもお馴染みのハンバーガーはビーフだけど、
やっぱりパキスタンはチキンが多い! チキン万歳!

しかし、日本だと、マクドナルドはお手軽なファーストフードというイメージだけど、
パキスタンのマクドナルドは少し高級な感じがする。
値段を見ても、日本よりちょびっと安いだけ。
パキスターニーからすれば、ちょっとしたレストランかもしれない。

バーガー系では、ビーフバーガーが一番安くて39ルピー(78円)。
こないだまで日本でもハンバーガー65円とかやってたし、
今だって84円とかだから、値段はあまり変わらない。

セットメニュー(日本で言うとバリューセットに当たるのかな)も、
スモールサイズのセットだと119ルピー(238円)。
安いんだか何なんだか、よくわかりませんなぁ。

たかがマクドナルド、されどマクドナルド。
こんなに楽しめるとは思いもよらなかった。
みんなはしゃぎすぎて、店員さんにくにゃくにゃ曲がる鉛筆をもらった。
いやぁ、どうもありがとうございます。
って、オマケなんかもらっちゃったりして、何か私たちガキみたいですねぇ。


さすがチキンの国。ケンタッキーもあるよ

たくさんの珍しいものがあったので、写真を撮りまくるぜ!
と思っていたら、フィルムの枚数が残り10枚程度になっていた。
うーん、今日のお昼間にカナリ撮りまくっていたからなぁ。
でもタイで大量にフィルムを買ったし、大丈夫…


あ! 全然大丈夫じゃない! ヤバイ! うーわ、まずった…。


タイで購入したフィルムのほとんどは、何とスーツケースに入れっぱなしだったのだ!


あぁ〜、朝寝坊して急いで用意したから、忘れてたんだ。
うげげげ…フィルムのためにまた引き返して、というのはみんなにカナリ迷惑だ…。

かなりのショック。このとき、愛用の象の刺繍入りショルダーポシェットから出てきたのは、
わずかに40枚撮りフィルムが1本のみ。
はぁ〜、これだけじゃあ、ペシャーワルでフィルムがなくなってしまうよ〜。

せっかくマクドナルドで盛り上がった気持ちが、
あっという間にションボリしてしまい、
ラホールで最後の切ない夜を迎えたのでした。



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