Peshawar to Islamabad(イスラマバード移動日)
         〜
謎の腹痛にもだえ苦しむ日

今日は残念ながら、ペシャーワル最後の日となってしまった。
やはり、昨日恐れていたとおり、タフティ・バーイ見学は中止になってしまったのだ。

完全にダウンしてしまって、ペシャーワルでは外に一歩も出ていない状態の後輩もいるし、
みんなの身体も疲労しきっている。
こんな状況で、タフティ・バーイに行こうものなら、
本当に全員倒れてしまうと言っても大げさじゃないくらい。

先生曰く、過去にもそういうことがあったらしい。
それまで元気だった人が、タフティ・バーイでばたばた倒れるというケース。


そんなことを聞くと、一体タフティ・バーイってどんなところやねん?? と疑問に思うだろう。
というわけで、行ってないけどタフティ・バーイの説明を。

地球の歩き方から…(控えめ)

 タフティ・バーイは、ペシャーワルから約80km北西の、山の上にあるガンダーラ遺跡。
 1〜7世紀に建設された僧院で、保存状態は良好とのこと。
 しかし、山の上にあるうえ、木陰がなく日差しもキツイ。
 そんな中をかなり歩くのだから、倒れるのも無理はない。
 しかも、疲れきった身体で、となると…この旅行は悲惨なことになってしまう。



元気だったら見たかったけど、こればっかりは仕方がない。
一人ぼっちだった悪夢のグランドホテルをチェックアウトし、
バスはイスラマバードに向けて出発した。

ペシャーワルからイスラマバードまではさほど遠くない。
といっても、それは一昨日のラホールからペシャーワル大移動を思えばの話で、
ペシャーワル‐イスラマバード間の距離はおよそ170km。
日本だと、大阪‐東京間くらいの距離であるが、
バスでその距離を行くのはかなりしんどいものである。

出た!パキスタンのデコトラ!


ペシャーワルを離れ、イスラマバード市内までやってくると、
何やら、今までには見慣れなかった景色が現れ始めた。


イスラマバードはとてもきれいで整然とした街。
ラホールやペシャーワルのように、ごっちゃりごちゃごちゃとはしていない。
首都建設のため、1958年に砂漠だった土地の開発を開始し、
1970年に完成した、まだ歴史の浅い人工都市だ。

街の道路は、碁盤目のようにキレイに区画整備されてとても近代的。
縦横に交わる道は、交差点と交差点との間がちょうど2kmに決められている。
本当に碁盤目のようにきっちり整備されている。
イスラマの中心部分のブルーエリアという通りは、
今まで見てきたパキスタンとは全く雰囲気が違って、ビルがたくさん立ち並んでいる。

車窓から見たブルーエリア(ボケてるな…)

そして、木々もたくさん植わっている、緑いっぱいの街だ。
元々は砂漠地帯で雨の降らなかったこの地域にも、
こうやって木をたくさん植えたことで、雨雲が発生するようになったのだという。
お天気まで変えてしまった、すんごい都市なのである。


イスラマバードにやって来ていちばん最初に行ったのは、レストランだ。
「オマル・カヤーム」というイラン料理店(「
地球の歩き方」にも載ってます)。
入り口からして薄暗ーい感じで、店内も怪しい暗がりが広がっていた!
天井の灯りもかわいらしくてエキゾチック。

仄暗い灯り

ここで、生まれて初めてのイラン料理を体験したのだが、
今までに味わったことのない、未体験ゾーンの味を堪能することができた。
サラダはほうれん草とかきゅうりが入っていて、全部ヨーグルト和えだった。
イランの人はそんなにヨーグルト和えが好きなの?

おいしかったのは、やはりカバーブ。マトンのミンチを棒状にしたものですね。
やっぱり中近東の肉料理といえば、カバーブですなぁ。

とにかくサラダはヨーグルトで 奥の肉はマトン、手前がチキン

そんなこんなでイラン料理に舌鼓を打っていると、
どうもお腹の調子が悪くなってきたらしく、下っ腹あたりがころころ鳴っていた。
ヨーグルト効果か?うーん、ちょっと嫌な方向だなぁ。


オマル・カヤームを後にし、次はお買い物。
パキスタン・ハンディクラフト・センターというお店へ向かう。

ここは地下一階に地上二階という大きなお店で、店内には所狭しと商品が並んでいる。
ここでは、パキスタン中の工芸品を買うことができる。
銀食器・陶器・木工品・革製品・刺繍織物・絨毯などなど、挙げればキリがないほどで、
本当にたくさんの品物が揃っているので、見ているだけでも楽しい。


そんな楽しいところへお買い物に来たというのに、
私のお腹の調子は悪くなるばかりだった。
こ、これは、やばいな。
本気で気を失ってしまいそうだ。

階段のところでうずくまっていると、横にいた後輩も青い顔をしていた。
彼女はペシャーワルで具合を悪くしていた後輩と同部屋だったコだ。
何だか体調不良のムードが広まっているような気がするぞ。

いやいや、そんなことを考えている間にも、
私のお腹はどんどん痛みを増していっていた。
だめだ、こりゃもう無理だ。お買い物もしたいけど、
でも…これ以上耐えられない(>_<)

私と私の横にいた後輩は、一足お先にハンディクラフト・センターを出て、家に帰ることに。


家に帰る、といっても、日本に帰るってわけじゃないですよ。
家というのは、在パキスタン日本大使館で専門調査員をしておられるNgさんとIさんのお宅。


NgさんとIさんは同じ家に住んでいるのだが、
お二人のうち、Ngさんが私たちの先輩ということもあり、
イスラマ滞在中はご厄介になろう、ということでやってきたのだった。
実はさっきのイラン料理の前に、荷物だけ置きにお家へあがらせてもらったのだが、
めちゃめちゃ広い家なのである!二人で住むには広すぎるほどだ。

ペシャーワルで具合の悪くなった後輩は、
クラフトセンターに行かずに、すでにNgさん宅で休んでいた。
彼女は、イスラマに着いた時点でもう動き回れる元気はなく、ぐったりしていたのだが、
私たちが家に帰ってきたときには、もうかなり回復した様子で、
ずいぶんと元気な口調で話せるようになっていた。よかったよかった。

私のお腹の痛みと下痢もマシになってきたようだし、少し寝ることにしよう。
きっとこれまでの旅の疲れがたまっているんだ。


どれくらい寝たかわからないが、目を覚ますともう夕食の用意ができていた。
ちょっと休んだら、いくらか気分は落ち着いてきたようだ。

今日の夕食は、何と嬉しいことに日本食!
Ngさん家のお手伝いさんが作ってくださったのだ(しかもパキスターニーなのに!)。

今日はNgさん、Iさん以外にも日本人のお客さんがいっぱい来て、賑やかな食卓だった。
同じく大使館の方や、我が大学の先輩方お二人まで。

先輩の内の一人が
8/24のタイ・ドンムァン空港でばったり出会ったNz先輩ですね。
もう一人のNt先輩は、前年まで一緒の授業を取ってました。
今はパキスタンでパキスタン人の如くお仕事をしている、とのこと。お久しぶりです。
みんなにお酌をしてまわったりして、楽しい晩餐でした。


しかし、やっぱり具合が悪くなってきた。ちょっと休むだけじゃダメだったらしい。
夕食の途中で抜けて、自分の寝る部屋へと戻ってきた。

夕食前と同じような下痢症状が止まらず、トイレに行きっぱなし。
用をたしてトイレから出てきても、すぐにまたトイレにかけこむ、という状態。
部屋にトイレがついててよかった。心置きなくトイレにいけるというものだ。
しかも、Ngさん宅のおトイレもやっぱりシャワーがついている!

そうなのだ。パキスタンのホテルやレストランといった、観光向けの施設のトイレには、
トイレットペーパーと共に、ミニシャワーがついているのだ。
紙拭き文化の日本と違い、パキスタンは水洗い文化なのである。

最初は「これは何のためについているのか?」と不思議に思っていたが、
下痢ぴー状態の今になって、本当に心からシャワーの存在をありがたく思った。
この状態の中、5分おきにトイレットペーパーで拭いてたら、
お尻が赤く擦り切れちゃう…(>_<)

下痢が粗方治まっても、激しい腹痛は治まる気配がなかった。
お腹が痛すぎて、動けない。ただ、うずくまるしかない。

意識ははっきりしているし、身体もお腹以外は全く健康だった。
友達や後輩が心配して看に来てくれるのだが、お腹を除けばすごく元気だから、
話は楽しくできても、お腹のせいで動くことができなくてもどかしかった。


よし、これはもう薬を飲んで寝るしかない。
布団を頭からすっぽりかぶって、ぎゅっと目をつぶった。
とりあえず、眠ってしまってお腹が痛いことをすっかり忘れてしまおう。

だけど、夜中に何度も腹痛で目が覚めてトイレにダッシュしたり、
眠りについたと思ったら、せっかくの夢の中でまで、腹痛に襲われたり。
もう寝ても覚めても、お腹が痛くてどうしようもない状態に陥った。

しまいには、どっちか夢で現実なのかもわからなくなってきて、
どうか早く朝が来てくれと、朝になっても治ってるかどうかわからないのに、必死で祈った。
とにかく、この腹痛地獄から、早く私を逃がして欲しかった。


こうして、イスラマバード第1日目の夜は過ぎていったのであった。
何だか、全然寝ていないような気もするが…。



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